ついに日本にやって来た。IoTの真打「Amazon Dash Button」
Amazonはどこまで我々とインターネットを近づけてくれるのか。
私が最初にAmazonを使ったのは、今から約15年前のこと2002年11月。
映画でもない音楽でもない超マイナーなイベントのDVDボックスが発売されたのだが、どの書店に行っても見つからない。
そもそもそのDVDは、書店で売られているのかCDショップで売られているのか、それすらもわからなかった。
渋谷界隈にあるパルコブックセンターなどの大手書店、タワーレコードやHMVなどの大手CDショップなど10件以上は探し回っただろうか。でも、結局見つからなかった。
自宅に帰って来て、ふと思い立った、そういえばAmazonっていう大手ネット書店がアメリカから上陸したらしい。(Amazonの日本上陸は2000年11月 IT mediaニュースより)
当時は、ネット書店は乱立していていて、ネットショップがアメリカから上陸することの意味もよくわからなかった、町の本屋みたいな小規模なネットショップを個人が立ち上げているものがほとんどだっからわざわざアメリカ発のネット書店を使う理由が見当たらなかった。(ネットショップにとって、規模の大きさは品揃えと関係するので、大きさはとても重要なことなのがだが)。
自宅に帰って、iBookを開いて当時はまだネット書店でしかなかった「Amazon」のサイトを開いた。
「みうらじゅん ザ・スライドショー」
と打ち込んだ。ものの数秒で出て来た。
「おいおい、あれだけ苦労して探したのに結局ここにあるのかよ」。
支払いは、クレジットカードを登録してすぐに買えた。
それが私のアマゾンショッピングの始まり
届いたのは、今日のように「翌日」ではなかったけれど、3日後には届いた。なぜ覚えているかというと、私のショッピング履歴に記録が残っているからである。
この時、はじめてインターネットの真髄をみた気がした。同時に、そこ知れぬ怖さも感じた。ネットショップはひたすらデカイ会社が勝つのだ。
ある時、北海道に旅行に行っていた。バスの中で見慣れぬ電子機器を持っているフランス人を見た。
まだ、iPhoneが日本で発売されて1〜2年経った2010年頃。
それは、Kindleと呼ばれる電子書籍だった。
「そっか旅行中に使えば、嵩張らずに便利いいな」
それからほどなくして、kindleを買った。
やがて、アマゾンはKindlefireと呼ばれる。純正のタブレットを出すまでになった。
狙いは、もちろんトップページをAmazon.comにすることで、あらゆるモノを買うときの最初の選択肢にすることである。
それはまるで「いつでもどこにでも持ち運べるいわばレジ」ではないか。
そして今日、私は奇妙なボタンを見た。
そのボタンには、「エリエール」「南アルプスの天然水」「ファブリーズ」「毎日1杯の青汁」「ネスカフェ」「南アルプスの天然水」など、一度は聞いたことがあるような日常品だ。
なんだよ?このボタン押したら商品が届くのか?
そうです。本当に届くのです。
そのボタンを押すだけでその商品が届くAmazonの1クリックボタンを現実の外に取り出した、Amazon Dash Buttonと呼ばれるモノなのである。
ついに、この時代が来た。
もう、商店に行くどころか、インターネットブラウザを開くことすらしない、商品も選ばない。
やることは、目の前にある「ボタン」を押すだけ。赤ちゃんでも頼める。
目の前にあるボタンをプッシュするだけで、翌日に、場合によっては当日届く。
私は、もちろん買った。こんなわかりやすい製品ない。
(何回も押したらどうなる?とかの素朴な疑問等詳細はこちら)
さらに、このタイミングでAmazon Dash Buttonを超える、さらなるウルトラスーパーなサービスを発表した。
ポケモンGOならぬ「Amazon GO」である。
まさに「ゼロクリックの世界ここに極まる」。これが映画やアニメの中の出来事ではなくて、本当に現実のサービスなのである。もう開いた口が塞がらない。
ネット書店だったAmazonが、ネットで売ることのできる全てのものの品揃えをすることは、簡単に予想できたが、電子書籍の端末を出したり、映画を配信したり、レジなしの店舗を持つなんて、当時は到底予測できなかった。
Amazon自身予測できてなかったと思う。
ソフトウェアサービスの洗練進化と同時に、ハードウェアの方も同様に進化していた。
ネットの回線は何百倍も早くなり、iPhoneに代表されるスマートフォンというどこでもネットに接続できる道具を世界中の人々が持つようになった。
程なくして、IoTと呼ぼれるあらゆるモノがインターネットとつがながる技術が発明され、それはAmazon Dash ButtonやAmazon Goへとなった。
アマゾンは、インターネットを近づけるどころか、どんどん見えないものにしていっている。