情報を発信できない組織は滅びる。情報を発信し続ける組織は栄える。
いつの時代でも、「情報は、それを発信する人のもとに集まる」というのは普遍的な真実だ。
例えば古代で最も巨大な情報の集積地、「アレクサンドリア図書館」には、それを目指し各地から人が集まってきたという。
世界中の文献を収集することを目的として建設され、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の殿堂とも言われている。図書館には多くの思想家や作家の著作、学術書を所蔵した。綴じ本が一般的でなかった当時、所蔵文献はパピルスの巻物であり、蔵書は巻子本にしておよそ70万巻にものぼったとされる。アルキメデスやエウクレイデスら世界各地から優秀な学者が集まった一大学術機関でもある。
(Wikipedia)
情報のある場所に、情報を持つ人が集まり、更に集積度が高まっていく。これが「情報は、それを発信する人のもとに集まる」という言葉の意味だ。
しかし、webの出現前においては、情報発信には莫大なコストが掛かった。アレキサンドリア図書館は王の財力がなせる技だったのである。当時は印刷技術もなく、写本のみがメディアであった。
したがって、「知識」は、一般庶民には縁のないもの、パトロンに守られた学者のみが得ることのできるものだった。
中世に入り、画期的な技術が生まれた。「活版印刷」である。活版印刷は情報発信のスピードを飛躍的に高めた。これにより、世の中は大きく変わる。
例えばキリスト教において、印刷物が出回る前は聖書を読めるのは一部の聖職者だけであった。しかし、安く聖書が手に入るようになり、聖職者以外の人間が聖書を読むことができるようになった結果、聖職者の言うことは間違っているのでは?という疑問が様々な人の心のなかにおこり、結果的にルターの「宗教改革」につながっていく。「聖書のみ」というルターの言葉は、それを指し示している。
また、科学の発達にも大きな影響があった。職人の持つ「秘技」は、書物として公開されることにより一子相伝のものではなく、「法則」「標準化」に変化し、「科学」と「技術」を生み出した。閉鎖的なギルドは消滅し、オープンな大学が生まれた。
科学と技術の恩恵については推して知るべしである。我々の生活水準は上がり、寿命は3倍になった。こういった一連の流れが「印刷」によって生み出されたと聞いて驚かない人はいないだろう。
現代になりwebの出現は、印刷革命と比較される。同じようなインパクトを我々にもたらすのではないか、どのように世の中が変化していくのか、みなが注目している。
すでに変化の兆しはある。今まで会社が囲い込んでいた知識はwebに流れ出し、情報を集積することで力を得ていた各種マスメディアは凋落の一途をたどっている。
webの時代とマスメディアの時代の大きなちがいは、その情報発信コストのちがいにある。マスメディアは独占的に情報発信手段を用いていたため、どうしても情報発信コストが高く、一部の大企業のみがそれをつかうことができた。
今は違う。個人であっても巨大なネットワークを利用し、多くの人にアクセスすることができる。だから、今の時代はかつてのマスメディアのように「ネットワークを所有するもの」が力を持つのではなく、「良質な情報を発信する者」と、「良質な情報をキュレーションできる者」が、力を持つ。
今でも「情報を制するものは、世界を制する」のは、Googleの独占を見ても明らかである。どんなに小さな会社であっても、情報を発信できない組織は滅びる。情報を発信し続ける組織は栄える。そういう時代なのだ。